回心誌

日々是回心

森友事件についての整理。

分かっている情報から、おそらくこうだ、というストーリーを考察してみました。

まだまだ分からないことが多いのですが。



今回の事件、発端となったのは土地の売却価格が非公表だったことです。

なぜ非公表にしたのか、ということから考えていきます。


まず、財務省(佐川理財局長)は国会で「先方(学園)から『(地下ごみの存在が知られれば)生徒を集めることに風評被害が出るので公開を控えてほしい』と要請があった」と答弁しています。
これに対し、「(地下ごみの)撤去を前提に売却価格が値引きされて撤去するわけだから、風評も何もないではないか」と問われると、「地下埋設物の存在が周知されることだけでも、保護者にとってはどういうものがあったのか、懸念を生じさせるものだろうと思う」と答えています。

安倍昭恵首相夫人と籠池理事長(当時)の妻・諄子氏のメールの2017年2月21日のやり取りで、このようなものがあります*1

安倍昭恵「なぜ売却価格を非公開にしてしまったのですか。やはり怪しまれるようなことはしない方がよかったのかなあとは思います。祈ります。」
籠池諄子「公開しなかったのは、土壌汚染や廃棄物のある土地で開校しようとしていると、悪評をたてられたら困るのでしませんでした。」

ここで諄子氏が嘘をついている可能性もありますが、昭恵夫人に伝えているように、学園側の事情として風評被害を避けるために非公表とした、ということは十分ありうるように思います。


とはいえ、価格を非公表とすることは一般的ではありません。会計検査院の報告書では、手続き上の過誤によって取引自体を非公表としていた事例が104件中5件あったものの、価格を非公表とした事例はこの例を除いて存在しないと指摘があります。*2


もう一つの可能性として、近畿財務局側の事情として、あまりに売却額を安くしたために、公表が憚られたということも考えられそうです。

財務局は3mより上の部分のごみ撤去費用として国が立て替えた1億3000万円ギリギリまで価格を下げています。
この額を下回ると、国は売却によって収支がマイナスになってしまうわけですが、それより少し高い1億3400万円で売却しています。

この売却価格が決まるまでの経緯は疑惑だらけです。

最終的に売却されるのは2016年6月20日ですが、3月30日に森友学園と近畿財務局が行なった協議のやりとりが音声データとして報道されています。*3
この3月30日のやりとりは、財務省側も認めているものです。*4

【工事業者とみられる人物】
「3mより下から(ゴミが)出てきたかどうかは分からないですと伝えている」

【学園の代理人弁護士】
「そこは言葉遊びかもしれないですけど」

【工事業者とみられる人物】
「そのへんをうまくコントロールしてもらえるんでしたら」

【池田統括官】「ご協議させていただけるなら、そういう方向でお話し合いをさせていただければ」

【国側の職員とみられる人物】「言い方としては“混在”と、“9mまでの範囲”で」

このやり取りは、国が実際にはない3m以深のゴミを仮定するよう口裏合わせをしているようにみえますが、財務省は「口裏合わせではない」としています。

このやりとりがあった3月30日に、近畿財務局は、地下ゴミの撤去費用の見積もりを大阪航空局に依頼しています。撤去費用の見積もりを民間業者でなく国に依頼するのは異例なことだそうです。*5

さらにそれに先立つ3月16日付の音声データでは、以下のやりとりが録音されています。*6

設計事務所担当者「主には埋め戻したところの残りではないか」

籠池夫妻    「産廃やないの。なんでこんなことするの」

国側      「残りだとは認識していない。後から出てきた場合は(国の)瑕疵になる」

設計事務所担当者「発生源の特定はわからないが、新たな地中障害として処理するしかない、と」

国側      「そうです」

実際には「埋め戻しのゴミ」であることが疑われるにも関わらず、国側は「新たなゴミである」という解釈を譲ろうしません。

このやり取りの中で、籠池夫妻は「埋め戻し」について「なんでこんなことするの」と国側を問いただしています。


「埋め戻し」と言えば、森友学園の事件が発覚した直後、ゴミが埋め戻されているのではないかという疑惑が持ち上がり、籠池氏は「仮置き」であるなどとして反論していました。*7

このやり取りが行われた2月下旬の段階ではまだ、学園は小学校設置認可を取り下げていませんでした。籠池氏が必死に疑惑を払拭しようとしていたのだろうと思われます。


さて、「埋め戻し」疑惑が事実であるなら、なぜそのことを籠池夫妻が国側に問いただすのでしょうか。

その重大なヒントが、2015年9月4日にあります。
この前後を含めた3日間はいわゆる疑惑の3日間と呼ばれています。

2015年9月3日に安倍首相が迫田理財局長(当時)と面会し、翌9月4日には安倍昭恵首相夫人が大阪府・私学審議会会長の梶田叡一のイベントに同席。さらに同日、建設予定の小学校校舎が、補助金付きのプロジェクトに採択されています。翌日には安倍昭恵夫人が森友学園の幼稚園で講演し、小学校の名誉校長への就任が発表されます(安倍首相は、その場の雰囲気で断りきれなかっただけだ、としています)。

これらの出来事自体は単なる偶然と捉えることはできます。重要なのはその最中の9月4日、近畿財務局内会議室にて、森友学園の小学校建設を請け負った設計会社所長、建設会社所長が、近畿財務局の統括管理官、大阪航空局調査係と会合を持ちます。

この中で、驚くべきことに、国側が埋め戻し(「場内処分」)を提案していることを、参加していた業者が証言しています。*8

業者側が「産廃は仕分け処分費が高く、撤去すると膨大な金額になる。工事を進めてよいか」と相談。
財務局側が「上層部への説明がつかない」などと難色を示すと、
業者側は「それなら場外に出さない方法を考えるしかない」と反発。
財務局側は「場外処分を極力減らす方法を考えて」「借り主との紛争も避けたいので、場内処分の方向で協力お願いします」と求めたとされる。

この会合には籠池夫妻は同席しておらず、半年後の2016年3月11日になってようやく籠池氏がその事実を知った、ということも業者が証言しています。

この証言については音声データがなく、裏付けは打ち合わせ記録のみとなっています。また、国側も埋め戻しを提案をしたことを否定しています。


しかし、3月16日付の音声データで籠池氏が埋め戻しについて「なんでこんなことするの」と憤慨していたまさにその理由が、実は国が業者に埋め戻しを提案していたのだとすると、辻褄が合います。

3月15日には、籠池氏が霞が関財務省本省まで出向き、理財局の室長と面会しています。この際に、埋め戻したゴミについて直訴したのではないでしょうか。



ここまでの流れを振り返ると、次のようになります。

2015年9月4日 国がゴミの「場内処分」(埋め戻し)を提案
2016年3月11日 籠池理事長が埋め戻しを認識。財務局に連絡。
2016年3月15日 籠池理事長が霞が関財務省本省を訪問。理財局・国有財産審理室長と面会。
2016年3月16日 「埋め戻したゴミではないか」「なんでこんなことするの」と森友側から詰め寄られるが、国は「新たなゴミ」と強弁。
2016年3月30日 「9.9mまでの範囲で」ゴミが「混在」している、という「ストーリー」で値下げすることを合意。
         近畿財務局が大阪航空局に撤去費用見積もりを依頼。(民間業者でなく国に依頼するのは異例)
2016年4月14日 大阪航空局が見積額概算額を報告。


このように見ると、そもそもは「埋め戻しの提案」という国の重大な瑕疵があり、そこを突っ込まれたがために値下げに応じざるを得なかった、ということが考えられます。

明確な違法行為を誘導したことになるため、財務省としても隠し通すしかなく、今日まであらゆる情報公開に消極的な態度をとり、文書の改ざんまでして追及をかわし続けてきたのだと考えられます。


しかし、それではなぜ、埋め戻しの提案などしたのでしょうか。

産経新聞によると、埋め戻しを提案したやりとりの中で財務省は次のように述べていたそうです。*9

さらに財務局は「建築に支障ある産廃および汚染土は瑕疵にあたるため、(国に)処分費用負担義務が生じるが、それ以外の産廃残土処分(の価格)が通常の10倍では到底予算はつかない」と指摘。「借り主との紛争も避けたいので、場内処分の方向で協力お願いします」と述べていた。


通常の10倍とはどういうことでしょうか。業者は処分にかかる費用は9億6000万円だとしていますが、これは妥当な金額なのでしょうか。*10

また、紛争(おそらく損害賠償でしょう)を避けたいのは分かりますが、だからといって違法行為を提案するのは異常としか言いようがありません。なぜそこまで紛争を避けようとしたのでしょうか。

そもそも紛争を避けたいのであれば、初期の段階から交渉を打ち切ってしまえばよかったのではないでしょうか。

2015年4月付の近畿財務局内で、交渉担当者が法律担当者に相談した内容が公表されています。*11
それによると、法律担当者は「学園との交渉が長期化すると損害賠償を請求される可能性がある」と指摘し、さらに「契約条件が整わない場合に相手の要請を受諾する義務はない」とも述べています。
当然といえば当然の意見です。

最近明らかになった改ざん前文書などからも、複数の議員秘書を介して「貸付料が高すぎるためなんとかならないか」など財務省に問い合わせさせていたことが明らかになっています。
とても財政的に余裕があるようには思えません。そのことは近畿財務局も承知していたはずです。

にも関わらず、交渉担当者は法律相談の中で「学校の16年4月開校への協力姿勢は堅持したい」と意欲的です。


このように、森友学園への土地売却に執着していたのはなぜなのでしょうか。



他にも、10年年賦払いによる延納特約に至る経緯も分かっていません。
また、なぜ文書改ざんに手を染めてしまったのか、特に政治家が関係する部分を削除した理由も分かりませんし、政府与党が調査にあからさまに消極的な理由もよく分かりません。


真相解明に向けて、少しでも情報が明らかになることを望みます。

伊勢田哲治『マンガで学ぶ動物倫理』

近所の図書館で動物倫理関係の書籍を探したんだけど、この一冊しか無かったです。


マンガで学ぶ動物倫理: わたしたちは動物とどうつきあえばよいのか

マンガで学ぶ動物倫理: わたしたちは動物とどうつきあえばよいのか


ヤングアダルトコーナーにあって、ずいぶん探し回ったあげく、結局職員に聞いて借りました。
割と今風なタッチのマンガにページ数が割かれています。主人公らが事件に遭遇し、動物と人間の関わり方を考えて行く、というストーリー。そのマンガの合間に、伊勢田先生によるものと思われる解説が挟まれます。

若干ラブコメちっくな描写がありつつ、解説もわかりやすくて面白かったです。答えを出すというより読者自身が考えることを促すつくりになっているのも好感が持てます。

ちなみに伊勢田先生といえば、応用哲学で有名な先生でございます。他に科学哲学のご著書を拝読したことがありますが、同じく応用哲学者の戸田山先生の弟子筋にあたる方、と言っていいと思います。戸田山先生には大学の頃、いくつか講義を教わったことがあり、今でも大変尊敬しております。


読んでみての感想は、動物倫理はやはり一筋縄ではいかない、というものです。

現在、人類が普通の生活の中で普通に行なっていることを正当化するのがいかに難しいかがよく分かりました。
トピックとしてあげられるものは、愛護動物と畜産動物、実験動物との違い、畜産や動物実験はどこまで許されるのか(そして、それはなぜか)という、動物倫理に少しでも興味のある人であればどこかで聞いたことのある内容になります。

ただ、それまでそうした問題に対して自分が漠然と持っていた解決策がいかに貧弱なものかが露呈してしまった、という感じでしょうか。


動物倫理、というものにそれほど興味のない方、もしくは、まだ深く学ばれていない方が持つ動物倫理の問題に対する回答は、概ね「人類は人類だから権利を持つのであって、動物に権利を与えるなんておかしい」とか、もしくは「そうしたことを議論するべきではない」とすら言う人もいるかもしれません。

こうした立場に対して、わかりやすく問題点を指摘しています。

ホモ・サピエンスだけが人権をもつ。それ以上の理由などない」とつっぱねる。
 これは多くの人が暗黙のうちにとっている立場かもしれません。法律も「ひと」と「もの」を峻別することでこの考え方にのっとっています。ただ、女性解放、黒人解放などの運動を大事だと思うなら、この考え方を認めるのはたいへん危険です。同じ理由で「男性(白人)だけが権利をもつ。理由などない」とつっぱねる道を開きかねないからです。マンガで出てきた、ヒトゲノムをもつかどうか、という基準も似たようなものです。


他にも、ありうる立場に対して、それぞれ問題点(たとえば、畜産を諦めなければならない、など)を指摘しており、どの立場に立っても現状のままではうまくいかないように思えてくるのです。


私自身の稚拙な思いつきとしては、「権利は自ら獲得しうる者とその血縁にのみ与えられる」というものです。
権利を自ら獲得する、というのは、状況に応じて闘争や主張を行い、自由になるために行動することを意味します。こうした行為には高度な言語能力や自発性が求められるため、(相当に高度な動物以外の)動物は排除され、一定の思考能力を持つ人間のみが残ります。
もう一つの「血縁」を条件としたのは、やや後付け的ではありますが、これによって思考能力のない人間にも権利が与えられることになります。なぜ血縁なのか、というと、それは血縁が「(人類を含めた)生物が最も自然に獲得する協調・協力の原動力」であるからです。ここで言う「協力・協調」は、人間でいうところの倫理的行為につながります。(人間を含めた)あらゆる生物が元から持っている性質として、血縁者を優先的に協力(倫理的行為)の対象とするため、獲得した権利を血縁者にも分け与えるのが自然なことに思えるわけです。

と、ここまで書いている途中、生物一般において「協力・協調」が必ずしも血縁同士の間で行われるわけではないことに気づきます。人間と家畜の関係もある意味では協力関係とも言えますし、花粉を運ぶ虫と植物の間など、人間以外の生物でも他種間の協力関係が存在します。
こうした協力関係を念頭に、権利の対象を拡張することはありうるかも、と思います。


続きはまたそのうち書くかもしれません。
もし、私の書いたようなことがすでに動物倫理学者によって議論されている、もしくは参考になりそうな議論がある、ということがありましたら、コメント欄等でおしらせくださいますと、大変嬉しゅうございます。


以上、読んでいただきありがとうございました。