回心誌

日々是回心

法制局人事はクーデター?

一般的には、国民に選ばれた政権与党が政府の人事権を行使しないほう不安だ。官僚の腐敗を招くからだ。まず、与党が最大限に権力を行使したとしても暴走が起きないように、予め適切な制限を施すことが重要だろう。

人事権を行使しないでいると、「暴走するつもりはない」と言って制限を緩めていくのではないか。そういう不安もある。

 

ただし今回の件については内閣法制局ということで、別の不安がある。

まず押さえるべきなのは、今回の起用は長年の慣行を破る異例のものであるということだ。マスメディアは「憲法のご意見番」*1「政府の憲法解釈の番人」*2*3と呼んでいるが、そのような権力を持つからこそ「歴代政府はその解釈を尊重し、長年にわたる国会議論の末に、国の形を規定する重要指針として醸成された歴史があるのだ」*4ろう。

では、なぜ国民の選んだ安倍首相の人事に対して物言いがつくのか? 民主主義の否定ではないか?

 

民主主義は容易に暴走するので、その危険を最小限に抑えなければならない。そのような例には枚挙にいとまがない。したがって、これを監視し牽制する必要がある。砦は多い方が安心だ(逆に多すぎると不便もあるだろうが)。その砦の一つが内閣法制局であり、最後の砦は最高裁判所ということになろう。内閣法制局は、政府の中にありつつも、いわば司法のような機能が期待されていると言って良いと思う。

ただし、その期待の実現が慣行に支えられていたこともまた事実である。随分と薄弱ではないかと思う。しかし法制化するのもまた過剰な気がする。

最終的に慣行を支えるのは国民の視線ということになるかと思う。今後数年、選挙は無い。だからこそ政権の動きは注視に値する。

 

そもそも、憲法改正をしようとするその一方で、長年の慣行を破ってまで解釈改憲を行おうとするのは一体どういうことだろうか。いや、もちろん、他に何か理由があるのならぜひ知りたいところだが。