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回心誌

世の中わがんね

広島、長崎、被爆

宮台真司によれば、憲法とは、ある悲劇を体験した人々が、もう二度とこのような悲劇を繰り返さないという強い意志に基づく覚書きなのだという。

 憲法の何たるかを国民の大半が弁えない。自民党憲法改正案を書いた東大法学部出身を含む輩でさえ弁えない。このような状況では憲法改正のハードルは高いほど良い。高いハードルを超えるには国民の集合的沸騰が必要だからです。集合的沸騰は、「悲劇の共有」を前提とし、かつ「子子孫孫が先祖の意志として参照する一般意志」を帰結します。

それが日本国憲法制定の契機であったかはともかくとして、二度の原爆被爆が日本における歴史的な悲劇の一つであることに異論は無いだろう。

オリバー・ストーンが最近「もうひとつのアメリカ史」というドキュメンタリーを製作し、日本でもNHKによって放映された。

第3回は、広島と長崎への原爆投下に至るアメリカ政府内の“知られざる論争”に焦点をあてる。中でも、ニミッツ、アイゼンハワーマッカーサー、キング、アーノルド、レイヒーという6人の主要な将軍が、原爆投下は「道徳的にも非難されるべきであり、軍事的にも必要ない」としていた。

オリバー・ストーン歴史観には極端な部分もあるかもしれないが、共感する部分が多い。日本の戦争を止めたのはソ連の参戦であり、原爆投下でなかったのではないかという疑問を提示している。
私個人の意見としても、アメリカに日本国民を殺害した罪はあると思う。そして、少なくとも責任が大きいことは間違いないと思う。


ところで、広島の原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。原爆投下を人類普遍の過ちと位置づけ、二度と繰り返さない責任を人類全体で背負うことが宣言されている。
私はこう思う。世界で唯一原爆を投下した国として、アメリカの責任は大きいと思う。その他の核保有国の責任もまた大きい。日本にも被爆国として被爆者の声、犠牲者の声を背負う責任がある。教科書的で白々しく感じるかもしれないが、そう感じる方が間違っている。
このような覚悟を前にして、「被害を受けた日本が謝っているのでおかしい」と批判する人がいる。私個人は原爆投下について日本に何の罪もないということはありえない無いと思うが、しかし仮に過去の原爆投下に罪がないとしても、我々は今後起こりうる悲劇について責任や倫理的な義務を背負わなければならない。それこそ、ヴァイツゼッカーが演説で語ったように。
にも関わらず、この碑文を巡った事件は絶えない。アメリカが悪いとかいう矮小な態度をとるのは、私には理解できない。端的に言って、浅ましさを感じる。アメリカへの責任追及は結構だが、他所でやるべきだ。

この碑文のような責任への覚悟を被爆国である日本が発信するからこそ、人類全体の責任と義務が立ち上がってくるのだと思う。私は核の抑止力を肯定的に評価しており、単に核廃絶を求める碑文だとは思っていない。もっと深く本質的な悲劇の教訓として理解するべきだと思う。
一方、このような覚悟の発信が説得力を持つためにも、すなわち悲劇を二度と繰り返さないためにも、戦後補償はきちんとやったほうがいいと思うのだ。

もちろん、倫理とか道徳とか、そういうお為ごかしはどうでもいい、という立場もありうるとは思うし、それはそれで結構だ。