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回心誌

世の中わがんね

児童ポルノ規制法、法と道徳の分離

児童ポルノ規制法について,規制を求めている団体にはどのようなものがあり,それぞれどのような主張をしているのか調べようと思った.

まず,インターネットの普及により交換が容易化したこと,ヨーロッパで単純所持が規制されていることを挙げ,単純所持の規制を求めている.

1.「有償かつ反復による取得」の処罰化でなく、「単純所持の処罰化」を求めます。

現在の民主党案(第7条第1項)の「有償かつ反復による取得」の処罰化では、無償による取得や意図的な所持を処罰することができません。有償かつ反復による取得の処罰化はインターネットやブロードバンドの普及により、一度インターネット上にアップされた児童ポルノを無料で取り込み保存し、後にインターネットにアップして他人と交換することができるという現在の状況に全くそぐわないものです。また一度に大量に有償で取得した場合も処罰されない事になります。
児童ポルノは性虐待、性搾取の証拠であり、存在そのものが子どもへの重大な人権侵害です。単純所持を処罰化しなければ、証拠として現存する大量の児童ポルノに関して何ら手立てを講じることができません。顔をさらされたまま児童ポルノの被写体とされた子どもたちの人権侵害は、放置されたままです。
世界では単純所持の処罰化が進み、欧州ではすでに単純所持のみならず意図的な児童ポルノへのアクセスを禁ずる方向で規制強化が進んでいます。日本も一日も早く単純所持の処罰化を実現して頂くようお願い致します。

また,カナダやスウェーデンで日本の漫画が児童ポルノとされた判決,国連人権理事会において子どもポルノにはバーチャルなポルノも含まれることを指摘し,漫画等と児童の権利侵害の関連性の調査を求めている.

3.架空の子どもへの性虐待を描写した漫画やアニメーション、コンピューターゲーム等の画像が児童ポルノに含まれるものではないとする民主党案を採用することなく、自公改正案附則にて規定されている、「児童ポルノに類する漫画等と児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究の推進」を強く求めます。

非実写とはいえ、子どもに対する性虐待を性目的で描いた描写物は、子どもへの性虐待を容認する社会的風潮を生み出すものです。すでにカナダやスウェーデンでは日本の漫画の所持を有罪とする判決が出されるなど、子どもに対する性虐待を描写した日本の漫画の中には、他国では児童ポルノとして扱われる物が含まれています。こうした子どもへの性虐待を描いた描写物が、性虐待に用いられたり性犯罪につながった事例等の実態調査すらもすることなく、法律の規定からはずすことを明示的に認めるのは、性犯罪の加害者への漫画等の影響を危惧する現場の声とはかけ離れたものです。  
2009年の国連人権理事会においても、国連特別報告者による各国政府への勧告のなかで、子どもポルノには、バーチャルなポルノや子どもを性的に搾取した表現も含むことが明記されています。非実写児童ポルノの影響について調査をし、その可否についてご判断を頂きたく、今回法律として非実写児童ポルノを含まないという規定を法案に含めることに反対致します。

日本ユニセフ協会も,同じようにインターネットのファイル共有によって被害が広がりやすくなっているため単純所持を規制すべきだと主張し,これに関連して国際社会は単純所持規制,架空描写の規制を行っていることを指摘している.ただし,ここでは架空描写の規制を主張してはいないようだ.

ファイル共有ソフトなどの新たなツールの出現により、大量の児童ポルノ画像・映像が、有償・無償に関わらず、インターネットを通じ、国境を超えてやりとりされています。こうした問題に対応するために、国際社会は、単純所持の規制(既に70カ国以上が「単純所持」を禁止)のみならず、児童ポルノ画像・映像の閲覧行為さえも規制するべきだとの方向性及びアニメーションや漫画などの形で子どもに対する性虐待行為を描いたものさえも規制すべきとの方向性を打ち出しています(2008年「第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する世界会議」)。また、欧州評議会(Council of Europe)は、2007年に締結した「子どもの性的搾取および性的虐待からの保護に関する条約」で児童ポルノの定義に実在しない子どもの性虐待を描写したものも含めています。

まず,日本は他国と比べ児童ポルノの定義が広く曖昧であると聞いたことがある.この状態のまま単純所持規制,架空描写を児童ポルノとして規制することは危険なのではないか?という疑問がまず当然浮かぶ.
加えて,児童を性的に描いた架空の表現はかなり広く出回っており,今後これを単純所持規制の対象にするとすれば,混乱が見込まれコストが大きい.感情的には,そのような下劣なものを所持している以上逮捕されて当然だ,という意見もありうるとは思う.ただし,これは法と道徳の分離の観点から全く賛成できない.そのようなコストを払ってもなおメリットのほうが優るという意見になら耳を傾けることができる.
また,架空描写の規制をする根拠は,それが現実的な被害をもたらすことだと言うことになろうかと思うが,もしそのような法理が成り立つのであれば,同様に暴力表現やテロリズムの表現も規制されるということがありうる.あまりにも影響が大きいのではないだろうか.
表現や思想に触れることが行動に影響を与えることはあり得ると,個人的には思う.しかし,そうであるからといって成人をそれらの影響から引き離すのはパターナリズムに他ならない.そうだから一概に悪いというわけではないが,パターナリズムを支持することについて,少なくとも私は躊躇を覚える.
そして,法と道徳は分離すべきではないのか?という疑問.

以下の記述は丸山眞男『現代政治の思想と行動』〈新装版〉p.13-15に基づく.
ヘーゲルは「内面的に自由であり,主観のうちにその定在(ダーザイン)をもっているものは法律のなかに入って来てはならない」と言ったとされるが,ヨーロッパにおいては近代の成立とともに法と道徳の分離がなされてきた.これは道徳を支配する協会と法を支配する国家が分離によってなされたものである.しかし,日本ではこの道徳の内面化の問題が深く論じられてこなかった.このため,教育勅語(これこそ日本国が倫理的価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であった)の発布後には,内村鑑三不敬事件のような摩擦を生んだ.

たとえ多数の同意を得たとしても,道徳の押し付けは少数を圧迫するものであるため,これは原則的に避けるべきだろう.