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回心誌

世の中わがんね

侵略と追悼

確かに日本は侵略行為をしたけど、追悼式典ではそのことも踏まえ悲劇を二度と繰り返さないという立場をとっていると思うのです。
慰霊碑に刻まれている「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」には、そういう意味があるのだと思います。
その意味で、侵略行為を反省、謝罪することと追悼することは矛盾するものではないでしょう。むしろ侵略などの残虐行為を許さないという立場を堅持しなければ、追悼も悲劇共有も核兵器の廃絶の訴えも空虚なものになるでしょう。

上記PDFで詳しく論じられていますが、ジョン・ロールズが指摘するようにアメリカの核使用は言語道断の悪だと、僕も思うわけです。しかし自国の悪を顧みることなしに他国を非難していては、説得力がなく浅ましいものにみえてしまいます。
話がそれますが、それにしてもアメリカ人(の一部)は核使用だけでなく、ベトナム戦争も9.11以降のイラク戦争も、犠牲を抑えるためには仕方が無かった、最終的には正義だったと主張するんでしょうか。オリバー・ストーンの『もうひとつのアメリカ史』を観て、そういうアメリカの精神性の、そして横暴の端緒となったのが核兵器の開発とその使用だろうと思ったのです。
だからこそ、アメリカ国民は核兵器について過去を直視し反省する必要があるし、それを促すために日本ができることも少なくないはずです。

追悼式典での安倍首相の式辞で、例年あった「不戦の誓い」と「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」という文言がなかったそうですね。9条改憲解釈改憲による集団的自衛権の獲得に向けて動いている自身の政治的立場との矛盾を解消しようということでしょうか。
9条にせよ不戦の誓いにせよ、それがあろうと無かろうと戦争せざるを得ない状況になればそんなことは関係ないだろうと思ってしまうのですよね……。となると、敢えて平和主義の立場を表明するのは他国へのアピールとして機能する側面が大きいと思うのです。
にも関わらずそれしないということに、やはり不安になってしまうわけです。