回心誌

日々是回心

性の二重基準

 ちょっと前に売買春について記事を書いたが*1、それに関連して。

 岩上安身がアンソニー・ギデンスをルポの中で引用している。このルポ自体が読み物として面白い。「現代」で連載されていたもので1999年ごろに書かれたものらしい。

 イギリスの社会学アンソニー・ギデンズは、『近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』というサブタイトルのついた著書『親密性の変容』の中で、性をめぐる道徳規範の揺らぎについてこう述べている。

「多彩な性関係を、さらにまたある程度の男女平等を享受できた女性は、いつの時代にもいた。しかし、従来、女性はほとんどの場合、貞淑な女か尻軽な女かに分けられ、「尻軽女」は世間体を重んじる社会の周縁にのみ存在してきた(中略)。

 他方、男性の場合(中略)、結婚前に多彩な性的出会いをもつのは、一般的に好ましいこととされ、また、結婚後も実際には男性と女性とで異なる、性の二重の道徳規範が働いてきた」

 性の二重の道徳規範についてのギデンズの指摘は、日本にもあてはまる。長い間この国では男の浮気は大目に見られ、その一方女の不倫は厳しく戒められてきた。その歴史的事実を大筋において否定する者はいないであろう。

 さて、宮台真司が『愛のキャラバン』で述べているように、日本では70年代ごろから女性の性の自由化が始まり、男性のみが性を自由に謳歌することはできなくなった。90年代には援助交際という形で一つの臨界を迎え若い女の「身売り」は社会問題となったが、時を同じくして始まったセカイ系ブームは、殻にこもる若い男を象徴しているように思える。

 草食系男子もこの流れの延長上にあると思う。なぜそうなったのか。以下非常に拙い考察。それまで男性は性の自由を享受しつつも女性には不自由を課してきた。宮台はこう述べている。

 売春禁止法にある男思想の背景には、男は誰でも買ってもいいが、女はプロだけが売れ、という男のエゴがあるんですよ。逆に言えば自分の妻と娘だけは売らないで欲しいというエゴなんですね。

 ところが、女性の性の自由化によりこのエゴが通用しなくなる。男は不倫する、しかし同時に自分の妻も不倫する。これが男は許せない。であれば、男も不倫しない、だから女も不倫しないでくれ。男の草食化の背景にはこういう防衛機制があるのではないか。

 宮台によると、婚外交渉(不倫)の体験割合は他の先進国と比べても日本は高いのだという。一方で婚外子の割合は増加傾向にあるものの諸外国と比べて断トツにく、これこそまさに立て前にこだわることの証左ではないか。

 ただ、不倫率についてはちょっとググってみた感じではどうなのか単純には言えなさそう。調査時期にもよるだろうし。

 2013-09-08 追記。

 それ(法的に権利を確保した上で言論を通じて説得していくこと)は法と道徳の分離って言うものの基本的な形ですけれどね。
 僕がよく言う、20年前から言ってきた、ヨーロッパ標準は売買春は非犯罪化しているんですよね。それは売買春オッケーっていうことではなくて、売買春については価値観の問題なので法律はそれを規定しない、と。もし売買春が嫌だという人は言論を通じて、コミュニケーションを通じて人を説得していくしか無いっていうね。
 法律は説得の問題ではなく、処罰の問題でしょ。道徳は実は説得、共感の問題なんですね。それを分けることができる人が市民社会を営む初歩の資格を手にしたことになるですけども、道徳を法にしようという動機は非常に幼稚なんですよね。それは権威を笠に着て自分の価値を押し付けるという、その意味で言えば、内発性をないがしろにしているんですよね。
 そういうのは哲学の勉強を少しでもしていれば分かることなんですけどね。

 嫡出子についてのコメントで、売春防止法の規定について触れていたのでここに書いておく。