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回心誌

世の中わがんね

「教育の政治的中立」について

教育 自治 政治参加

立命館で講師が署名用のプリントを配布したとかしてないとかって情報がツイッターで流れて、結局学生団体の要望を講師が許可したのだという。

教育になぜ中立性が必要なのかということについて、そもそもあまり共有されていないように感じたし、自分もあまり深く考えているわけではないことに気づいたので整理する。

個人的には以下の三つの論点があろうかと思う。

  1. 教師によって生徒の価値観が歪められるのを防ぐため
  2. 生徒の思想信条の自由のため
  3. 民主主義を支える言論の自由のため

「教師によって生徒の価値観が歪められるのを防ぐため」
1つめは分かりやすい。発達途上のいわば白紙の生徒に教員の好きな思想を書き込むことが許されると、歪められてしまうのではないか、という考え方だ。生徒が批判的なものの見方を持たないこと、教師に権威があることを前提にしており、ある種パターナリズムだと言えそう。それぞれの発達段階において要求される水準は異なると思われる。

「思想信条の自由のため」
教授の好き嫌いと自分の好き嫌いを一致させないといけないという状況は抑圧的。特定の思想信条を持つ人だけが不当な権利侵害を被るのは望ましいことではない。生徒と教師が成績や単位の利害関係がある場合は特に注意が必要だろう。

「民主主義を支える言論の自由のため」
国家に対して批判的な教育を許さない、となれば、民主主義が機能しなくなる恐れがある。教育機関は何らかの形で国家と利害関係にあるので、やはり注意が必要。

また、政策や与党に対して批判的な言説と迎合する言説は、言論の自由の観点から言えば少くとも対称ではなく、前者の方が守る価値があるというのが私の考えだ(リバタリアニズムアナーキズムのような、国家それ自体の善し悪しの議論とは別)。これは民主制に政教分離原則が必要なのと同じ理由で、国家が国家の行為について正しいと教え、皆がそれに従って投票する、としては民主主義は機能しないからだ。

最後に、これは政治性とは関係がないが、この事件に関連して、そもそも教育という公的な場に私的なものを持ち込むこと自体が良くない、という考えもありうる。講義を聞きに来たのに無関係な私事についてばかり話されたのでは、授業料を返してくれとなるだろう。学生がより授業に興味を持てるように工夫する上で私事について話すことは講師の工夫としてありだろうから、もちろん程度によると言える。

以上で中立性が必要な理由について説明してきたが、一方で、逆に政治的であること自体は良いことでもありうるし、だからこそ意見が対立するわけだ。そもそも言論の自由を行使して議論を行うのは市民の政治的義務でもある。また、学問の性質によっては、講師自身の政治的立場と無関係であることが難しい場合もあるだろう。最終的にはこれらを比較衡量して判断するしかない。

今回問題になったのは、立命館大学と講師の説明によれば、学生が講師に要望した上で講師がそれを認め学生が配布・回収したものであるという。*1

問題になるとすれば、受講者の思想信条の自由が守られているかという点だろう。さすがに大学生になって発達途上というのは過保護すぎる。

まず、学生団体の要望を受けて授業中に配布を認めるのは「あり」だろうか。これがありなら、同様に右翼系団体に所属する学生が要望した場合、講師は認めるだろうか。もしこれが「あり」で後者が「なし」なら、その基準の違いはどこにあるだろうか。

私の意見としては、配布を認めること自体は、思想信条の自由に配慮すればさほど大きな問題ではない、というものだ。

まず講師自身が配布したわけでもなく、また回収も学生団体が独立して行ったのだとされている。そうであるなら、署名が単位や成績に影響する不安は無いだろうし、そのような不安は不合理だ。今回どのような配慮がなされ、またなされなかったのかは現場に居合わせないと分からないが、分からない以上批判するわけにもいかない。

ただ、そのような許可を講師がする以上、厳密な中立性が担保されているとは言えない。なぜなら、講師は自分の政治的立場に近い学生団体の要望のみ許可して、そうでない学生団体に対しては色々と理由をつけて断ることが可能だからだ。

したがって、僕の嫌いな政治的立場に基づく署名を講師が許可しているから止めろ!という意見もありえないわけではないだろう。

理想を言えば、講師は非中立的な態度をとるべきではないと思う。その講師が授業に支障のない範囲で認めるのであれば、政治的立場を離れて認めるべきだ。ただ、講師も人である以上、印象によって判断を変えることはありうる。厳密な中立性は持ち得ない。そうなると、一律で認めないのが最も中立的と言えそうだ。しかし私はそれが良いとも思わない。

なぜなら、主張がどうあれ政治参加それ自体に価値があるからだ。中立性は勿論あったほうがいいし、ある程度の中立性は確保されてしかるべきだ。しかし、中立性が何よりも重要だとも思わない。そしてその価値判断は結局のところ講師がするしかないだろう。問題があると思えば、今回のように騒ぎ立てることもできる。大学に訴えることもできる。訴訟を起こすこともできる。学生団体と露骨に癒着していたらやっぱり問題だとは思う。でも今回のようなレベルでもダメということになれば、結局一律でダメということになりかねない。政治参加それ自体がタブーになるのは社会にとって良いことじゃないだろう。

ただし、今回の場合は事実誤認がきっかけとなって炎上したようで、そこに差別的な視点が疑われる点には注意が必要だ。中立性を求めるのは結構だが、特定の立場にのみ厳格な基準を求めるとすれば、そのほうが問題だ。

最後に、これが右翼の学生団体だったらどうか?という点について。そもそもそういう学生団体って今日日見ない。ぜひ作って活動したらいいと思う。