回心誌

世の中わがんね

ネット上の不毛な対立と罵詈雑言には疲れたよママ……

右と左、原発推進と脱却と"放射脳"、フェミニズムと反フェミニズム、あと反差別界隈のもろもろ……。あらゆる軸で対立しているが、なぜもっと建設的な議論ができないのか……。



で、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読んでいる。まだ2章までしか読んでないけど、既に十分面白い。



繰り返し「まず直観、それから思考」というフレーズが登場する。(特に道徳的な)判断を行う際には、我々は「まず直観」で判断を下し、その判断を正当化する理由を作り上げるのだという。

確かにこういうことは、自分の言動を思い返しても、こういうことは数限りなく行われている。例えば、私が脱原発派だったとする。ネット上で、原発に関係しそうな記事を見つけた。読み進めてみるが、その記事が脱原発を支持するのかしないのか、どちらの立場かすぐに分かれば、直観が即座に働く。「そうか、この記事は脱原発に反対か。よしよし、コメントで批判してやろう。理由はどうしようかな。うん、ここの論点は突っ込めそうだ」「ふむ。この記事は脱原発に賛成か。よろしい。おっと、批判コメントがいるな。叩いておこう」

一方、読み進めても、立場がどちらなのか一見して分からない場合もある。こういう場合、直観が宙ぶらりんになる感じがして居心地が悪い。「えーっと、よく分からないな。とりあえず、コメント欄はどうなっているかな。うん。脱原発派のユーザーからの批判が多いな。なるほど。」



また、ハイトは直観が社会的な機能だと主張している。つまり、仲間と一緒に生活し、裏切り者を排除し、敵と戦い……というヒトの社会で有利な立場を得るために進化し学習されてきたものなのだ。

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図はハイトが考え出した「社会的直観モデル」を表している。判断は直観によって決まるが、それが思考によって変わる稀で、むしろ議論を通じて意見を変えるほうが多い、ということを示している。
自分の直観から得た判断を自分で変更することはほとんどないので、3の矢印「理由づけられた説得」や4の矢印「社会的な説得」が最も重要ということになる。

ってところまで読んだが、しかし、じゃあどうやって4の矢印を生みだすかというと、なかなか難しいように思う。BがAのことを信頼していなければ、多分ダメだろう。

となると、やはりネットでの議論はどうしても不毛になってしまうよね……。対立がある場合に、相手の言い分を聞いてあげても、何の得にもならない。逆に、相手を可能な限りコテンパンに叩きのめしてやったほうが、仲間からの評価はよくなる。

キャス・サンスティーンも『インターネットは民主主義の敵か』で、自由にコミュニケーションの相手を選べるというインターネットの特性が、「集団極性化」(集団での意見の偏り)を招くと指摘している。

まあ、まだ途中なので、読み進めてからもう一度振り返ってみたい。

インターネットは民主主義の敵か

インターネットは民主主義の敵か