受け手(被害者)からすると、次のような違いがあると考えた。
罵倒であれば、たまたまそういう加害者にあたったから罵倒されたのだと考えることができる。その人から離れたり、行動次第で被害が抑えられることを期待できる。
一方、差別の場合、加害者から離れたとしても、社会全体が差別的である以上、そしてその社会に暮らす以上、回避できないことを覚悟しなければならない。
もちろん個別に見れば、一般的な罵倒に酷く傷つくことはあるし、例えば職場の上司からひどい罵倒を受けたからといって、すぐにその上司から離れられるわけではない。逆に、差別的発言でも、あまり傷つかない場合もあるかもしれない。
ただ、差別の場合、社会全体から蔑まれるような絶望感につながりやすい。比較することが適切かは分からないが、一般的な罵倒より深刻な痛みになりやすいのではないだろうか。