宇田丸とゲスト・高橋ヨシキ
- 三池崇、園子温、ジブリは治外法権。
- 昔(70年代)はエロ、グロやりほうだい。そのときから批判はされていた。
- 80年代から文化がオシャレ化。高橋「僕の大っ嫌いな、わたしをどっかにつれてけ*1とかそういう奴があったじゃないですか」。ああいうのはマーケティング指向みたいなのがあって嫌らしい。「今の観客」を忖度するようになる。『ET』はマーケティング会社に「こんなの超当たんねえ」と言われてた。高橋「僕はマーケティング屋の言うことは一個も信用しませんよ」。
- 90年代、テレビにテロップ。視聴者をバカにしてる。視聴者をお子ちゃま扱い。読書感想文の先生が喜ぶ返事みたいなものを観客に求める。作り手の内面化も大問題。視聴者がバカになり、観たいものしか観たくない、となる。
- 高橋「俺たち大人だから、やくざがなんかやってたら野次馬的に見たいじゃないですか。それなんでやらしてくれないのっていう」。
- 漫画・小説は許される。でもテレビはダメ。そうなると映画もダメ。
- 宇田丸「ゾーニングはあったほうがいい?」高橋「それはあったほうがいい。でも全部ふ菓子みたいなものでいいのか」。
- セックスシーンで布がかけられていた日本版God of Warでどれだけガッカリしたか。
- World War Zのプロモーション。世界の終焉を表すZ? いやいやZombieのZだから!
- 人に影響を与えないんだったらそれは表現じゃないんですよ。
- 自分が白いと思ってる人が一番怖い。人間は本質的にそういうとこ(残酷性)があるんだから。
- 小学校三年生で『はだしのゲン』でギギギ……がなきゃダメじゃないですか。
- イウォークは首狩り族。セディック族ですから。
- ヤコペッティ。「人間は等しく愚かで残酷だ」というメッセージ。コッポラ『地獄の黙示録』の動物吊るすシーン、牛の首チョンパ祭りはヤコペッティの丸パクリ。
- ローン・レンジャーの「インディアン」が「先住民」に。
- 日本の法律とか、『1984年』のダブル・スピーク。
- 作者: 高橋ヨシキ
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2013/07/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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児童ポルノ禁止法改正案・「単純所持」を違法化することの意味とリスク - YouTube
- 目の前から自分の不快に思うものが消えることで安心する心の平穏を尊重する、というのは倫理的とは言えない。
- キャサリン・マッキノン、ジュディス・バトラーのように、男がポルノを観ているかもしれないと思うだけで自分たちは社会の中で息苦しい、というのはアメリカの宗教原理主義的な考え。性的なものに対するコモン・センスが違う。
- 法と道徳の分離。法の文化退行の抑止*2。道徳を法形成するのではなく、法が許しているが、私たちの道徳は許さない、と主張するべき。いわば市民社会の相互的なコミュニケーションの内側で影響力を行使していくことが大事で、統治権力を呼び出して私たちの道徳を統治権力が応援してくださいとかいうのは、さもしく浅ましい。
*1:『私をスキーに連れてって』のことか?
*2:こういう用語があるのか?