回心誌

日々是回心

二階の卓越主義

宮台真司の議論の中で何度か登場する「二階の卓越主義」という言葉について。

宮台真司自身による説明は、

彼らは、こうした傾向に抗うには、取り敢えず不完全情報領域の最小化が必要だとする。そして、そのために周到に設計された熟議を提案する。熟議の制度設計に際しては、専門知を有したエリート、すなわち卓越者の働きが極めて重要になる。このような立場を、サンスティーンは「二階の卓越主義」と呼ぶ。耳慣れない言葉だから、少し説明しよう。

意味は「コミニュケーションの内容選択において卓越性を示すかわりに、コミュニケーションの手続選択において卓越性を示す必要がある」ということだ。このことから分かるように、二階の卓越主義は、卓越主義一般と同じくエリート主義的なパターナリズムの一種である。このパターナリズムは、必然的に全体主義の色合いを帯びざるを得ない。

まもなく上梓される幻冬舎からのハードカバー本の「あとがき」

ということである。

「エリートに直接決めてもらう」のではなく、「みんなで議論して決めるのだが、エリートに議論の仕方を決めてもらう」ということだろうか。
学級活動の時間、クラスで何か案件について相談して結論を出すのだが、その際、途中までは皆で話し合うのだが、煮詰まってどうにもならなくなって最後には先生に決めてもらっていた。これは第一階の卓越主義ということになるだろう。そうでなくて、どうやって話し合えばスムーズに不満無く結論が出せるかを先生が教えれば、第二階の卓越主義ということになるだろう。

この考え方で面白いのは、判断の形成そのものは個別に行い、エリートの介入を防いでいるところだ。一般に,民主主義の過程では必然的に多数決を行うことになるが,この際,判断形成が個別に行われないことは絶対に避けなければならないことで,それゆえ特定の宗教に属しているため特定の政党に投票する,ということは本来避けるべきなのである.

サンスティーン『熟議が壊れるとき』の第4章「第二階の卓越主義」および第5章「第二階の決定」において詳しく論じられるようだが、実は持っているのに未読だ。

熟議が壊れるとき: 民主政と憲法解釈の統治理論

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