回心誌

日々是回心

シャルリー・エブドをこのタイミングで非難する危険性

「確かにあの風刺はやり過ぎだよね。もちろんテロは良くないけど」とテロをきっかけにして言うのは、結果的にテロを助長してしまうのでは?

どんな手段であろうと、どんなプロセスを踏もうと、結果がすべて、という考え方からすれば、例えば「世界中にあの風刺画が広まり、差別問題が周知されたなら、私のテロ活動がどう非難されようと結果オーライだ。」と言う考え方もできる。

ここで風刺画が差別かどうかを議論するつもりはないが、あれが差別であるすると、今そこにある差別を無視するというのは、非常に苦しい選択だ。しかし、テロを助長しないために、敢えて今は差別問題があったとしても無視する、というのは一つの考え方としてありだと思う。

テロは市民社会のルールを無効化する。差別かどうかの議論は市民社会のルールの中でこそ可能なのであって、これが無効化されたら差別どころの話ではない。しかたって、まずはテロの無効化を優先する。

といっても、言論弾圧のようなことをしても仕方がない。「テロが起きようが、我々の社会は平常運転である」ことも示す必要がある。テロがきっかけではないということをアピールしつつ、差別問題についても議論していく必要がある。これは大変だなあと思う。