続いて『ミリオンダラー・ベイビー』の感想。
ネタバレ含む。
クリント・イーストウッドは割りかし安心して観れる映画監督ではある(つまり好きな映画監督だってこと)*1。
安心と言ったけど、これをもう少し詳しく言うなれば、ティーパーティーではない「ちゃんとした保守」っぽさがイーストウッドにはある、と思う*2。私自身はリベラルとか左翼とか言われるような立場なので*3、これは結構大事なことなのだ。
そうは言っても彼の長い経歴の中で、最近の数本しか観れてないんだけどね。
本作『ミリオンダラー・ベイビー』は、前半はボクシング映画なんだけど、後半は病室が延々と映る映画に急転する。
この構成ってよく出来てて、こういう言い方はちょっと微妙なんだけども、最初から尊厳死を扱った映画だと分かっていると、感情移入しきれないところがある。要は学校で見せられるような退屈な「お勉強」映画なんでしょ、という感じがどうしてもしてしまうのだ。
主人公マギー(ヒラリー・スワンク)はフランキー(クリント・イーストウッド)の営むボクシング・ジムを訪れ、コーチをしてくれないかと頼み込む。当初は「女は入れない」と断ったフランキーだったが、元ボクサーの清掃員スクラップの手助けもあり、マギーの面倒を見ることに。マギーは31歳でボクサーとしては高齢だったが、持ち前のセンスを生かして快進撃を続けていく……。
普通のボクシング映画*4では、基本的には負ける。途中で勝っても良いけど、挫折がなければ最後に勝つカタルシスが無いからだ。にも関わらず、この映画は勝ち続ける。勝って勝って、最後に強敵と戦う。
尺から言っても展開から言っても、きっとこの強敵には敵わない、ということは鑑賞者にも容易に想像がつく。きっとここで負けて、なんやかんやあって再戦して勝つんだろう、と。
しかし、ここで悲劇が起きる。対戦相手の反則によってマギーは頚椎を損傷。二度と立ち上がれない障害を負うことになる……。
以降、病室のシーンばかりになる。本当に重いし辛い。直前までのボクシングと比べると退屈ですらある。マギーの家族(生活保護をあてにする貧困家庭)が訪ねてくるが金銭目的だった、というイヤなシーンもある。
マギーは自分の人生に絶望し、フランキーに尊厳死の希望を伝える。フランキーは勇気付けるが、マギーは舌を噛み切り自殺未遂を起こす。鎮静剤を打たれ、朦朧となったマギーを見て苦悩するフランキーだったが、尊厳死を実行し、姿を消す。
「尊厳死」という言葉の「尊厳」とは何なんだろう。尊厳を守るために自死を認める(または殺す)。尊厳が保てないから自死を認める。
やっぱりボクサーとしての半生があったからこそ、一生を全身不随のまま過ごすことは尊厳を損なう、ということなんだろう。もちろんどこに尊厳を見出すかは人それぞれで、同じ境遇でも尊厳を見出すことのできる人も間違いなくいるはずだ。
尊厳はいじめや差別を考える上でもキーワードになると思う。いじめはどの社会にだってある。でも尊厳を奪うようないじめはダメだ。なぜ差別がいけないのか。尊厳を奪うからだ。
尊厳は表面的なことでは分からない。全身不随でも尊厳を持って生きている人も間違いなくいる。尊厳について知りたければ、その人がどんな人生を歩んできたのか深く想像する必要がある。
なんて言うだけなら誰でもできるけど、それを実感持って語るのは難しい。重いテーマを骨太の精神で描き出し、具現化した良作。
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