天皇を政治パフォーマンスに動員しようとする行為であり、政治利用である、という批判はまず全面的に正しいと思う。
ただ、所詮は無所属の参議院議員であり、政治的権力は非常に弱く、その意味で例えば閣僚や政権与党が利用するとは意味が異なる。国会に多様性をもたらす意義が参議院にはあるので、そのことを念頭に置けば理由に辞職を迫ろうとは思わない。批判は結構だが、辞職を迫れば民意を蔑ろにすることにつながる。
天皇陛下に直接手紙を渡すなど不届き千万だとか、昔だったら即逮捕だとかいう批判は的外れも甚だしい。政治利用をしてはならないのは天皇を愚民洗脳ツールとして動員すると民主主義が崩壊するからだ。不敬である云々の批判はむしろ聖なる天皇を祭り上げる政治利用につながる。礼儀がなっていないというのは細事にすぎない。
今回の手紙は日本国憲法ないし誓願法に規定された誓願にあたるのだろうか。
もし誓願であるならば、誓願法によって規定された通り、内閣に提出するべきだろう。ただお伝えしたいことがあるというだけでは誓願にはあたらないわけだが、結局は中身を見ないことには分からない。
いずれにしても法的にどうかというのもあまり重要ではない。パフォーマンスとして機能することは確かなので、批判は免れない。
「政治利用ではないか」と話題になった事件としては他に
- 1973年、増原惠吉防衛庁長官、天皇陛下の政治的言葉を紹介し、辞任
- 1992年、宮沢内閣、天安門事件後の中国への訪中を天皇、皇后両陛下に要請
- 2009年、鳩山内閣、天皇特例会見(中国側の求めに応じて一ヶ月ルールを破って会見)
最近だと
いずれも閣僚、内閣が問題視されているのであって、今回のように一国会議員が問題視されるのは異例といって良さそう。
さて、先述の通り、マナーの問題として捉えるなどは愚の骨頂であるわけだが、この問題にどう対応するかで、民主主義と天皇制への理解度が測れる。
古屋圭司国家公安委員長:国会議員として常軌を逸した行動だ。国民の多くが許されざる行為だと怒りをこめて思っているのではないか
安倍晋三首相:あれはないよな
脇雅史参院幹事長:自らが身の処し方を考えるべきだ。自分で身を処しないなら、辞職勧告も考えるべきだ
橋下徹日本維新の会共同代表(大阪市長):日本の国民であれば法律に書いていなくてもやってはいけないことは分かる。しかも国会議員だ。信じられない