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回心誌

世の中わがんね

田端信太郎氏「全ての国民が「不断の努力」をしていないので、憲法上の保障を得られないのは自業自得」


田端氏がIWJを嘲笑し、冷笑系と批判され、やり取りの中で憲法についての見解を述べていた。

IWJをおちょくるのは好きにすればいいと思うけど(とはいえ趣味が悪いとも思うけど)、この憲法理解には酷く当惑させられる。



とりあえず、「権利の上に眠る者は保護に値せず」という法格言は民法における時効を説明したものだと思うんだけど、憲法に適用するのはどうなんだろう。


「なんらかの義務のバーターとして権利がある」的な考え方は違うっていうのは何百万回も言われてるけど、田端氏的にはそれも「べき論」に過ぎないんだろうか。


そして、「実際に「最低限度の文化的な生活」を送るには財源が必要であり、憲法それ自体が財源を保証するわけではありません。」というのはどういう状況を想定しているんだろう。国民全員が困窮しすぎて最低限度の生活を送れる人が一人もいない状況とか? "「税金を払えない人」が社会の全ての構成員になったら、どうなのでしょうか?"と言っているので、そういう想定をしている可能性はある。なぜ唐突にそんな仮定で議論しようとしたのかはよく分からない。





以下、やりとりの(ほぼ)全文。






「不断の努力」についても大いに疑問がある。


個人的には「不断の努力」は、「どんなに良い憲法でも、単に憲法があるだけではダメで、正しく運用されるように啓蒙や議論を続けなさいよ」ということだと思っている。その意味で田端氏のツイートを読むなら、「IWJへ寄付をしないような(権力へのチェックを怠るような)国民であれば、権利を既存されるのも自業自得だ」、と言っていることになるが、そうでないのは明らかだ。財源云々の前後のツイートから察するに、「国民が一生懸命稼いで税金を一生懸命納めるという「不断の努力」を怠っているのだから、権利が保障されない人が出てしまうのも仕方ない」といったような意味だろう。


田端氏や私を含め、幸いなことに最低限度の生活よりも豊かな生活を送ることができている。そういう国で、最低限度の生活を送れない人が出てしまうのが「国民が税金を納めない自業自得」だとか「財源がないから」で済むのだろうか。



他にも色々と思うところはあるんだけど、田端氏への邪推や僻みになってしまうのでこの辺りで。