憲法って、ただの紙の上に書かれた文章ですよね。。。実際に餓死しそうな人がいるときに、「憲法」がアンパンを恵んでくれたりするのですか? 誰か、生身の人間が、お金を出してアンパン買うところから始まりますよね? https://t.co/Vsi1HPJQcR
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
私は、憲法を否定はしませんが、憲法それ自体が保証する内容について、現実的に把握すべきと思います。憲法に「すべての国民は最低限度の文化的な生活を送る権利がある。」とあっても、実際に「最低限度の文化的な生活」を送るには財源が必要であり、憲法それ自体が財源を保証するわけではありません。 https://t.co/2cVGKivBGd
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
私は、全ての国民が、日本国憲法でいう「不断の努力」をしているとはとても思えないので、全ての国民が、憲法の定める保障を得られなくても、自業自得のようにも思えてなりません。https://t.co/wf7QPiolyG https://t.co/y2redYWGoW
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
私は「べき論」には興味がありません。「権利の上に眠るものは保護に値せず」という法格言通り、当事者にその気構えがなければ、結果的に当人の権利が制限されてしまうのは、致し方のない現実だと思います。 https://t.co/NHJEuJIm8f
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
田端氏がIWJを嘲笑し、冷笑系と批判され、やり取りの中で憲法についての見解を述べていた。
IWJをおちょくるのは好きにすればいいと思うけど(とはいえ趣味が悪いとも思うけど)、この憲法理解には酷く当惑させられる。
とりあえず、「権利の上に眠る者は保護に値せず」という法格言は民法における時効を説明したものだと思うんだけど、憲法に適用するのはどうなんだろう。
「なんらかの義務のバーターとして権利がある」的な考え方は違うっていうのは何百万回も言われてるけど、田端氏的にはそれも「べき論」に過ぎないんだろうか。
そして、「実際に「最低限度の文化的な生活」を送るには財源が必要であり、憲法それ自体が財源を保証するわけではありません。」というのはどういう状況を想定しているんだろう。国民全員が困窮しすぎて最低限度の生活を送れる人が一人もいない状況とか? "「税金を払えない人」が社会の全ての構成員になったら、どうなのでしょうか?"と言っているので、そういう想定をしている可能性はある。なぜ唐突にそんな仮定で議論しようとしたのかはよく分からない。
以下、やりとりの(ほぼ)全文。
恒常的に赤字で、カンパをいつも募集している「株式会社IWJ」。。。。 https://t.co/70oD5ykM4W
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
ハートウォーミングな貴殿は、株式会社IWJに寄付やカンパでもなさったらどうでしょうか? https://t.co/5fsf9pTtfi
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@keny_14 資本主義かつ市場経済において、株式会社「赤字である」ということは、(長期的に)存在する価値がない企業と思われてることと同義です。赤字である、ということは納税しないと同じでもあり、そんな非効率な営利企業に人材や資本が浪費されるのは社会的な害悪です。
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@tabbata 更に加えると、事情があって税金を払えない人が生きることも社会的な害悪なのでしょうか?
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
では、思考実験ですが、「税金を払えない人」が社会の全ての構成員になったら、どうなのでしょうか? そのような社会は存続可能でしょうか? https://t.co/3CGriFcE7d
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@keny_14 それでは、やはり納税している人は納税していない人と比べて社会の存続を考えるうえで比較すれば、有用であるということ。そして納税していない人が、公的な再分配を受け取る程度は、納税している人を含めた民主的な政治決定の結果をはみ出ることはできない、ということに合意されるということですね。
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@tabbata それには合意できないです。憲法では、全ての個人に生存権が保証されているので。
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
憲法って、ただの紙の上に書かれた文章ですよね。。。実際に餓死しそうな人がいるときに、「憲法」がアンパンを恵んでくれたりするのですか? 誰か、生身の人間が、お金を出してアンパン買うところから始まりますよね? https://t.co/Vsi1HPJQcR
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@tabbata 社会のあり方を議論する文脈で、憲法への理解は不可欠だと思うのですが、違和感ありますか?
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
私は、憲法を否定はしませんが、憲法それ自体が保証する内容について、現実的に把握すべきと思います。憲法に「すべての国民は最低限度の文化的な生活を送る権利がある。」とあっても、実際に「最低限度の文化的な生活」を送るには財源が必要であり、憲法それ自体が財源を保証するわけではありません。 https://t.co/2cVGKivBGd
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@tabbata 仰る通りです。それを実現するためにも国民の不断の努力、即ち、私達一人一人が行動を問われていると思います。それは、資本市場に身を置く人だけでなく、ジャーナリストや役人、教育関係や農工業、全ての社会の構成員に求められるものであると同時に、警鐘を鳴らす人達を尊重すべきだとも思います。
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
私は、全ての国民が、日本国憲法でいう「不断の努力」をしているとはとても思えないので、全ての国民が、憲法の定める保障を得られなくても、自業自得のようにも思えてなりません。https://t.co/wf7QPiolyG https://t.co/y2redYWGoW
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@tabbata 全ての国民に不断の努力を求めることも、全ての国民に保障を提供することも、何れも全体主義的だと思います。私が拘るのは、少数派の意見に対して、冷笑ではなく、傾聴が大事だということです。
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
憲法が言う「基本的人権」も権利の一種なのだとしたら、「権利の上に眠る者は保護に値せず」という法格言との緊張関係はどのように考えられるべきなのだろうか?
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
冷笑する人もまた、少数派ではw? 貴殿はそのような少数派への寛容を欠いてはいませんか?w https://t.co/qloqiUfUwK
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@tabbata あるジャーナリストの苦境に対して冷笑する人達が、社会の少数派というのは何か根拠はあるのでしょうか?
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
単純に社会全体の人数からみたら、ごく一部という意味では、少数派なのでは? 貴殿のおっしゃる少数派の定義を教えてください https://t.co/tt5cCHoM20
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
@tabbata 少数派の定義ということには意味がないと思います。個人が、権利を守るため主張することに対して社会全体で認め合うことが寛容さだと思います。
— bump (@keny_14) 2017年5月14日
@tabbata 横から失礼します。全国民が不断の努力をしていないのはその通りかと思いますが、そういった現状を鑑みて憲法の定めによる基本的な保証(基本的人権、信教の自由、参政権)は制限されるべきとお考えですか?
— しんた (@shintaneet) 2017年5月14日
私は「べき論」には興味がありません。「権利の上に眠るものは保護に値せず」という法格言通り、当事者にその気構えがなければ、結果的に当人の権利が制限されてしまうのは、致し方のない現実だと思います。 https://t.co/NHJEuJIm8f
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
「不断の努力」についても大いに疑問がある。
個人的には「不断の努力」は、「どんなに良い憲法でも、単に憲法があるだけではダメで、正しく運用されるように啓蒙や議論を続けなさいよ」ということだと思っている。その意味で田端氏のツイートを読むなら、「IWJへ寄付をしないような(権力へのチェックを怠るような)国民であれば、権利を既存されるのも自業自得だ」、と言っていることになるが、そうでないのは明らかだ。財源云々の前後のツイートから察するに、「国民が一生懸命稼いで税金を一生懸命納めるという「不断の努力」を怠っているのだから、権利が保障されない人が出てしまうのも仕方ない」といったような意味だろう。
田端氏や私を含め、幸いなことに最低限度の生活よりも豊かな生活を送ることができている。そういう国で、最低限度の生活を送れない人が出てしまうのが「国民が税金を納めない自業自得」だとか「財源がないから」で済むのだろうか。
他にも色々と思うところはあるんだけど、田端氏への邪推や僻みになってしまうのでこの辺りで。