回心誌

日々是回心

平田オリザの件 貸付による支援について

こういう記事があって

www.nhk.or.jp

それから、ぜひちょっとお考えいただきたいのは、製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。

こういうことを言って

「製造業を見下している」として大批判を浴びた。批判の一例としては、この辺。
togetter.com


読んでてモヤモヤしたポイントとしては、「融資という支援は需要に応じてある程度供給を柔軟に増減できることを前提としている」というような趣旨を読み取れるのだが、本当だろうか?という点。

平田オリザは、今回の炎上を受けて自身のブログで次のように書いている。

oriza.seinendan.org

 製造業への支援は、伝統的に利息の低い「緊急融資」という形がとられてきました。この方法が、もっともモラルハザードが起こりにくいからだと思います。企業に対する一律の支援となると、不正受給などが懸念されたり、企業努力を怠っている会社も救済されて自由経済のシステムが壊れてしまいます。

製造業は供給量の調整が比較的しやすく、そのため融資による救済がしやすいんじゃないか、というのは、ある程度は正しいんじゃないかとは思う。

例えば鋳造という加工技術があるけど、製造業は同じものをたくさん効率よく作ることを目指すものだという理解をしている。1個ものを作るのに10万円かかるとして、10個作るのに100万円かかるか、というと、そういうわけではない。いわゆる規模の経済とか費用逓減とか言われるやつ。

まーそうはいっても、町工場で一人親方でやってて、職人的な繊細さが求められるようなものではそういうわけにはいかないとは思うし、増産するにも設備投資やら必要だし、増産にかけた投資が無駄になることもある。その辺は平田オリザも記事内で言及している。



なぜ政府が融資という支援の形を取るのか、について専門家の分析などないかと調べようとしたけど、明確な答えは得られなかった。

ただ、例えば、中小企業支援政策について分析した次の論文などは、日本の中小企業は製造業しかないかのような書きっぷりだった。

https://www.seijo.ac.jp/research/economics/publications/annual-report/jtmo420000000mtr-att/keiken_nenpo27_muramoto.pdf

産業構造的に見ると,中小企業には大まかに2つのカテゴリーがある。1つは,経済を牽引するリーディング・インダストリーに対して部品供給・周辺製品を供給する等を行なう企業群(サプライヤー)や,リーディング・インダストリーの製造を支える基盤技術を持つ幅広い裾野産業(金型,鍍金,プレス,鋳造,鍛造,冶金等),すなわちサポーティング・インダストリーというカテゴリ
ーである。もう1つは,従来の産業ないし企業を超克する技術を持ったイノベーティブな存在としてのベンチャー企業というカテゴリーである。

精神疾患の受け皿としての役割を家族に押し付けすぎな件

blog.lalamiamor.net


精神疾患の当事者の視点から「受け皿」について書かれた上の記事を読んで、思うところあって調べていたら、日本と欧州の非自発的入院(医療保護入院)について比較した研究があったので、紹介します。


【PDF】家族等の同意に基づく医療保護入院に関する批判的検討 ――政策形成過程と国際比較の観点から――
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/FO/0014/FO00140L097.pdf



私も全部読んだわけではないのですが、簡単に欧州が日本と異なっている点をまとめると、次の3点になります。

  • 非自発的入院者の割合が極めて低く、期間も限定的
  • 居住施設の確保や緊急時の訪問支援体制等の入院によらない地域生活支援体制が整備され、可能な限り入院治療を回避するシステムを採っている
  • 家族は非自発的入院の決定に関与していないこと、非自発的入院の費用は公費で賄われ,費用負担は無く,家族に依存しない制度設計となっている


日本は上の3点と真逆の状況にあるということですね。


家族の負担が重いのは、本人との間のあつれきにつながっていそうです。


自分の存在が家族の負担になっていることを感じたり、敵対するような関係になってしまうのは、家族にとっても本人にとっても辛いだろうと思います。

(あくまで素人の意見ですが、こういう状況が反社会的な行動につながっていたりしないんだろうか、と思ってしまいます)


また、家族が入院を決める点もトラブルにつながりそうですね。家族の決定を本人が恨んだり、恨まれることを恐れて家族が入院を決められなかったり、ということがどなたかのブログ記事で指摘されていたように思います。


(医師のような専門家が決めるということになったとしても、それはそれで専門家の責任が重くなるので、決める側としては避けたいことなのかもしれませんが)


非自発的入院者の割合と期間についてですが、それに関連して精神病床の日数についてグラフがあったので、載せておきます。

下の図は、厚生労働省の資料から抜粋したもので、減少傾向ではあるものの、日本が飛び抜けて高い位置にあることがわかります*1

f:id:interferobserver:20180613223147p:plain



この傾向は精神疾患患者の家族の負担が重すぎることの裏返しなのではないでしょうか。

つまり、あまりにも重すぎる負担から解放されたいがために、より長期の入院を家族が望むのだろうと考えられないでしょうか。



根本的な解決には「地域生活支援体制」の構築が必要なのだろうということが言えそうです。

具体的にどうすればいいのか、というのはまだよくわかりませんが……。


ひとまず言えるのは、残念ながら日本は精神疾患の家族に厳しいこと、もっと広い受け皿を作れている国があるということ。

きれいごとと言われてしまうかもしれませんが、私は、もっと良くなることができるんだと思うと少し希望を感じます。


日本が欧州諸国のように地域での包括的な支援体制が作れるかはわかりませんが、学ぶ価値はありそうです。勉強していけたらと思います。




以上です。お読みいただきありがとうございました。


精神医療に葬られた人びと?潜入ルポ 社会的入院? (光文社新書)

精神医療に葬られた人びと?潜入ルポ 社会的入院? (光文社新書)

この本は売ってしまって手元にないのですが、家族への負担が重いことも含め、歴史を踏まえながら、日本の精神医療がいかに特殊であるかを批判しています。


恥の烙印―精神的疾病へのスティグマと変化への道標

恥の烙印―精神的疾病へのスティグマと変化への道標

紹介した研究では制度的な観点からの考察が主題ですが、文化的にも家族への負担というものは厳しいものがあるのだろうと思います。その補助線として、この本が役立ちそうに思います。ほんの一部日本の状況(回復に対する強い悲観主義、個人に帰責する傾向)についても触れています。