映画館で『嘆きのピエタ』を見ました。
キム・ギドクはレンタルで観た『絶対の愛』(2006)に続いて二作目です。『絶対の愛』はメチャメチャ面白かったので、これもつまらないはずはないと思って行ったのですが、寝不足なのと、この前に『選挙2』を観ていて、途中寝てしまったのです……。
帰り際、感想を言い合っている人たちの会話を聞いたんですが、「前の人の頭が邪魔だった」とのこと。僕のことですかね……すみません。
まあ、すごく面白かったですけどね!
以下ネタバレ込みの感想
前述のように、少し寝たので、母親と名乗る女性がどうやって借金取りの男に心を開かせたのかよく分かってないです。借金取りが母親と名乗る女性をレイプしようとしたところあたりから目が覚めたんですが。要するに、不完全にしか見てないことを前提に読んでいただきたいのです。
キリスト教のモチーフが所々に出てきます。
- 借金取りの家の前に教会
- 壁のポスターにナイフを投げるのが磔に見えた(まあこれが主観的なものですが)
- 金はすべてのはじまりで、おわり(みたいなことを言ってた気がします。神が言ったという「我はαにしてωなり」を想起させますよね? でもこれって、金=神ということ?)
- ラストシーンの聖歌(?)
キリスト教といえば原罪。ではどんな罪か? 復讐せざるを得ない罪、と僕の中で認定します。もちろん復讐が話の中心なのはご覧になれば誰でも納得だと思います。
借金取りによって障害を負わされた人々は皆口汚く罵り、殺してやりたいと呪詛の言葉を吐きますし、母親と名乗る女性が借金取りに近づいたのも動機は復讐です。
借金取りが最後にああして自殺したのも、あまりにも愚かで虚ろな自身に生を授けたものに対する復讐なのかもしれません。
一方で、復讐よりもっと重く深い人間の因果を描いているようにも見えました。母親は復讐の相手に同情心を持ってしまったのです。話の発端である借金というのも因果そのものですよね。金を借りれば返さなければならない。
仏教の寺院にいた車いすの老人がただ一人達観したように、自分は視野が狭い、というようなことを言うのが印象的でした。
ところで母親は借金取りの雇い主のところへ行って鎖でボカッとやってましたよね、確か。音しか聞こえない演出だった気がしますけど、あれは殺しちゃったんでしょうかね。金が全てのはじまりでおわり、ということを行ってましたから、諸悪の根源を叩くということで動機は納得できますね。でも、前述のように「金=神」なのだとしたら、神をぶち殺してるわけですね。
それと、工場(こうば)が強調されていますね。借金をしている人達はほとんどみんな工場で働いていて、工場の作業機械を使って保険金を作ろうとするわけです。恐ろしい。どのタイミングか覚えてないですが、機械がギューンとうなっているところが連続で映し出されるシーンもありましたね。意味はよく分からなかったですが。韓国の社会事情として、工場で働く人たちが借金しやすいとかなのだろうか……。
2013-07-23 追記
ピエタってキリスト教の言葉なんだって。死んだキリストを抱く聖母マリアの慈悲なんだそうです。
工場はやっぱり借金が多いらしい。
女性の裸に刺さったナイフ! → 女の人を恨んでいる!
やっぱり、途中からデートするのは男女の仲にしか見えないよなあ。うんうん。
【字多丸】映画批評 キムギドク 嘆きのピエタ 批評 あらすじ - YouTube
ギドク自体、評価されてこなかった。得意な経歴、30歳で『ポンヌフの恋人』と『羊たちの沈黙』を観てから映画を作り始める。キリスト教的倫理観、罪の意識。
食、清渓川の切り取り。キリスト教というのは観てれば分かること。ねじれた復讐譚が好きな人にオススメ。