ネタバレを含まないように面白く紹介するのは苦手だ。
- 作者:カート・ヴォネガット・ジュニア
- 発売日: 1979/07/01
- メディア: 文庫
昨日、カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』を読んだ。
「猫のゆりかご」(cat's cradle)というのは、「あやとり」のことらしい。
それはともかく、読もうと思ったきっかけは、「死」についての講義をまとめた書籍『「死」とは何か』に引用があったからだ。
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版
- 作者:シェリー・ケーガン
- 発売日: 2019/07/12
- メディア: 単行本
一時期書店で平積みされていたので、見かけた方や、手にとって読まれた方も多いのではないだろうか。
『猫のゆりかご』には、ボコノンという架空の宗教が登場する。
『「死」とは何か』では、ボコノンの祈りが引用されている
この引用について、引用したいと思う。
『「死」とは何か』の筆者は、早死にしてしまう可能性があることについて、我々が取るべき態度はどのようなものだろうか?怒るべきだろうか、いや、悲しむべきだろうか、と議論し、
それでは、悲しみはどうだろう? 私はあまりに早く死に過ぎる可能性が高いという事実をただ悲しむべきではないのか?
じつのところ、この種の感情は理にかなっているように思える。この世は素晴らしい場所だ。この世界が提供しうる驚くべき物事を、私たちはもっと多く経験できたほうが良いだろう。したがって、自分がこれ以上それを経験できなくなるのだから私は悲しいのであり、その悲しみは適切なものだと思う。
だが、そう考えた途端、思わずたちまち別の考えも浮かんでくる。もっと多く経験できないとはいえ、これほど多くを経験できたのはなんとも幸運だ。私の見るところでは、宇宙は膨大な数の原子が渦を巻き、さまざまな種類のものの群れを形作り、それがまた散らばったりばらばらになったりしている場所にすぎない。これらの原子の大半は、まったく生命を持つことがない。人格を持った人間になったり、恋に落ちたり、夕日を眺めたり、アイスクリームを食べたりする機会を得られない。私たちがこのような、選り抜きの幸福な存在であるというのは、この上ない幸福なのだ。
そうして、『猫のゆりかご』から、ボコノンの祈りを紹介する。
神は泥を作った。
神は寂しくなった。
だから神は泥の一部に、「起き上がれ!」と命じた。
「私の作ったもののいっさいを見よ!」と神は言った。「山、海、空、星を」
そして私は、起き上がってあたりを見回した泥の一部だった。
幸運な私、幸運な泥。
泥の私は起き上がり、神がいかに素晴らしい働きをしたかを目にした。
いいぞ、神様!
神様、あなた以外の誰にもこんなことはできなかっただろう! 私にはどう見ても無理だった。
あなたと比べれば、私など本当につまらないものだという気がする。
ほんの少しばかりでも自分が重要だと感じるには、どれほど多くの泥が起き上がって周りを見回しさえしなかったかということを考えるしかない。
私はこんなに多くを得たのであり、ほとんどの泥はろくに何も得なかった。
この栄誉をありがとう!
今や泥は再び横たわり、眠りに就く。
泥にしてみれば、何と素晴らしい思い出を得たことか。
他の種類の、なんと面白い、起き上がった泥に私は出会ったことか!
私は目にしたもののいっさいをおおいに楽しんだ
そして、その節を次のように締めくくる
正しい感情的反応は、恐れではなく、怒りでもなく、生きていられるという純然たる事実に対する感謝のように思える
この『猫のゆりかご』は1963年に出版されている。キューバ危機が1962年なので、冷戦の緊張が最も高まり、最悪の事態も覚悟しなければならないような社会情勢の中で書かれた。
しかし、この祈りに現れている、人生に対する肯定的な態度はどう理解すればいいのだろう。諦めのようなものだったのかもしれない、とも思う。
この架空の宗教「ボコノン」については、キリスト教の知識があればもっと楽しめるようなジョークが折り込まれているらしいけど、その辺りは全くわからなかった。
さて、『猫のゆりかご』は水の結晶(つまり氷)がSF的に重要な仕掛けになっている。結晶構造が異なると、同じ分子でも異なる性質を持つようになる、というのは理科で習った記憶がある(ダイヤモンドと黒鉛、みたいなね)。
この仕掛けの説明の中で、酒石酸エチレンジアミンの結晶の話が登場する。
博士は、酒石酸エチレンジアミンの巨大結晶を作っていた工場の話をした。何かの製造にその結晶が役に立つのだという。ところがある日、作業員たちはその結晶に、工場側が望んでいた性質が失われているのに気づいた。分子が違ったかたちに積みあがり、組みあわさりはじめているのである。結晶化の起こっている液体に変化はない。だが、できてくる結晶は、こと産業面への応用に関するかぎり役立たずなのだ。
どうしてこんなことになったのか、原因はわからない。だが理論上の犯人は明らかで、ブリード博士はそれを“種”と呼んだ。つまり好ましくない結晶パターンの微粒子である。その種が、神のみぞ知るところからはいりこみ、分子に新式の組みあわさりかた、結晶のしかた、凍りかたを教えたわけだ。
どうもこれは実際に起こった出来事のようで、いくつか別の書籍にも登場するエピソードのようだが、真偽はよくわからなかった。
例えば以下のブログでも紹介されている。
大元は『結晶の科学―物性の神秘をさぐる』で、『生命のニューサイエンス』にも引用されているそう。
なんとなく気にはなるね。
『猫のゆりかご』では、8種類しか知られていない氷の結晶構造について、研究の結果新たに9番目が発見された、という話になっている。この9番目の結晶構造は作中「アイス・ナイン」と呼ばれ、架空の宗教「ボコノン」と並んで本作品を特徴付ける名詞となっている。ちなみに、小説が書かれた当時は8種類しか知られていなかったが、現在はもっとたくさん見つかっているらしい。
実は、水の結晶構造は、全部で17種類が実際に作られ、純物質としては異常にたくさんの種類があります。氷の構造なんてとっくに調べつくされていると思われるかもしれませんが、今世紀に入ってから発見された氷が5種類もあり、今後も増えそうです。
ほええ。。。
小説やゲームなどで「アイス・ナイン」という単語が登場したら、あ、『猫のゆりかご』が元ネタか!とニヤリとできるね。