小山田圭吾(Cornelius)ってよく知らなくて、多分どこかしらで曲は聞いたことはあるんだろうけど、自分の世代でもないし、ちゃんと聞いたことはなかった。
で、例のいじめ自慢騒動があって、今日Youtubeで音楽を聴いて見たけど、確かにきれいな曲なんだけど、薄ら寒〜い気持ちになるなあ。
この人の歌うキラキラした世界には、いじめられる側の人間は入っていけないんだろうなーって。
オリンピックでこの人の手掛けた曲が使われるらしいので、オリンピックもまたそういう風に見えてしまう。
オリンピックって、アスリートがキラキラした世界で輝くためのステージであって、そうじゃない人は((税金で)お金は取るしテレビで観ることはできるけど)入っていけないものなんだなーって。
もちろんオリンピックは努力し続けて勝ち続けてきた人のためのステージで、その努力の尊さは自分には否定できないし、勝利を目指す真剣な姿には否応もなく心惹かれるものがあるだろうと思う。
でも、いじめられる側というか、敗者側というか、周辺にいる人たち側というか、とにかくそういうキラキラしていない人たちとも地続きであって欲しい。
ホームレスが住んでいた宮下公園が消えてキラキラしたミヤシタパークに生まれ変わったのを思い出した。そういえば、小山田圭吾って「渋谷系」なんだっけ。
つい最近にも五輪需要に押し出される形で、住宅支援で利用していたビジネスホテルを追い出されてしまった生活困窮者がいたらしい。
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なんか悲しいなあ。
開会式のコンセプトは「United by Emotion」なんだってさ。
やり場のないこの気持ちも、その「Emotion」に含まれますか?