回心誌

世の中わがんね

内閣法制局人事、憲法裁判所

内閣法制局人事について、宮台真司のコメントがとても面白かったので取り上げる。
以前にもブログで取り上げたが、もっとずっと論点が明確になった*1。前提として、内閣法制局長官小松一郎が抜擢されたが、これは長年の慣行を破るものであり、解釈改憲の歯止めが外れてしまうのではないかということで危惧されている*2

  • 「そもそも内閣法制局憲法解釈を行ってきたこと自体がおかしいのではないか?(=憲法解釈は国民が主体的に行うべきだろう)」という左翼的な主張をしたいわけではない。
  • 内閣法制局長官だった阪田雅裕が言っていたこと。解釈改憲によって日本の憲法は実質的に平和主義ではなくなる。他の国々でできることは全てできるようになる。
  • そもそも憲法は国民が国家に対して要求するもの。それなら、なぜ内閣法制局があるのか?
  • それは日本人に市民的公共性を樹立する力がないから。憲法裁判所を作れ、という動きもなく、自民党憲法草案にも反応が鈍い。このような穴を誰が埋めるべきか。政治家は水もの。であれば官僚が決めるしかない。それが内閣法制局の意義。
  • ここには二つの問題がある。僕たちが未熟だ、という問題。それとは別の問題として、水ものである政治家が人事に手を出して法制局の前例主義を覆してしまうと、抑止ができなくなってしまう。
  • なぜ日本人は憲法裁判所の設立を要求しないのか。最高裁違憲立法審査権憲法裁判所とは違う。最高裁は係争案件が無ければ判断を下すことすらできない。
  • 官僚の阿吽の呼吸でやってきたことを崩そうとする安倍は保守主義ではない。

これをエリート主義と言っていいのか分からないが、多分そういうものの一つだと思う。内閣法制局に限らず、司法は主として専門家で構成されており、民主主義のプロセスと関与する事は少ない(ぱっと思いつく例外は裁判員精度、最高裁国民審査、間接的に民意が反映される弾劾裁判)。
最終的にはエリート主義であるメリットの方が勝るのだと思うが、そうすると腐敗していくので、可視化が不可欠なのだと思う。
前例が崩れるという恐ろしさは確かにある。安倍支持者は「いやいや安倍にそんな意図はないので安心して」と言うかもしれないが、こうした前例を作ってしまったこと自体がすでに恐怖なのだ。安倍は何もしないかもしれない。しかし、今後政権を握るもの全てについてそれが言えるだろうか? もしこういう人事が常態化してしまえば、国民に破滅的な不利益を押しつけるような憲法解釈を行う者が表れたとき、我々が反応し批判する論拠を一つ失うことになるどころか、気付きすらしなくなってしまう。
歴史を観れば明らかだが、国民が選んだ政治家だから安心!というのは全くの間違いなのだ。もちろん、中には志高く、かつ自制心を持った政治家もいるだろうし、時には国民がそういう政治家を選ぶことができるかもしれない。しかし、常にそのような政治家を選び続けることは不可能だ。だから水ものである政治家の権力を押える仕組みが不可欠なのだ。